エピローグ

世界の真ん中を歩く

パラレルワールド

 寒いよマンです。いつもお世話になっております。

 

 ヨルシカのライブ「月光 再演」の3月30日に参加してきました。

 帰りのバスを乗り逃し東京で暖かい春とかほとんどアニメみたいな景色を堪能したのち最低気温がまだマイナスになる松本に帰ってきた結果、今日の朝から腹を壊しまくりました。まだ腹部に不快感がありあんま動けません。ついでにいつも飲んでる軽い気分安定薬を2日飲んでない結果、ではなく飲んでないことに対する不安で落ち込み、そして若干自律神経がイカレてて体調が悪いです。いろいろ沢山考えたので久々に文章にでもしようかと思います。いくつかのセクションに分けて適当なノリで書いていきます。タイトルはちゃんとこのライブに関することで、最後に書いておきます。

 

 

 

 

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・よかったこと

 「いくつかのセクションに分ける」と言っておいて一つ目が「よかったこと」なら二つ目以降はもうわるかったことじゃんね!いいえ、わるかったことではなく「くるしかったこと」の方が正しいです。すべて僕のことで、ライブが悪いことなどカスほどもない。世界が正しいのであって、間違ってるのはいつだって俺なんです。俺の世界では。

 

 

 ライブを見る前になんだかんだ一番ウキウキしてたのは生キタニタツヤを観ることでした。ほかのメンバーの方もインターネットで拝見しており、下鶴さんなんかは2020年前半にyoutubeのギター初心者講座で大変お世話になってましたので楽しみで。ちなみにナブナさんとsuisさんの姿形には特に関心がなかった(彼らの姿形がなくても俺の世界では成立している)。

 ライブを実際に見ると、照明の効果でいい感じにみんなシルエットだけ見えてました。キタニタツヤは足の角度で分かった。

 いちばんよかったのは間違いなくはっちゃんさんです。踊ろうぜでめちゃくちゃヘドバンしたり飛び跳ねたりしてて本当に最高でした。

 

 冗談抜きでマジでこのとおりだった。最高。

 

 

 そういうビジュアルてきな話の結論としては、もっとよくキタニタツヤとはっちゃんさんを観たいのでキタニタツヤのライブに行こうと思いました。

 

 

 

ライブの内容。映画をほぼ見ない俺が言うのは全く説得力がないけど、映画だなと思った。入場すると一枚のカードが配られ、そこにはこのライブが物語としてどのような位置付けなのかが書いてあった。

ナブナさんのポエトリーリーディングから始まる。ライブ前に「ナブナさんが叫んで客煽ってたらウケるね」と適当な会話をしていたが、半分当たるとは。彼が叫んでるのが本当に衝撃で、そこで完全にナブナさんとエイミーがリンクした。

一番最後のリーディングが本当に苦しくて。人が死ぬ瞬間が、本当に生々しくて、本当に辛かった。

演出とか構成とか、物語としては本当に良かった。だから俺は今回のライブのことをライブではなく映画だと思うことにする。

 

 

 

 

・音響

 ライブの音響が苦手です。音がデカすぎます。

 俺は一般人です。3dsのイヤホンジャックに300円のイヤホンを刺してシャリシャリの音質で2011年くらいのミックスもクソもないキー上げされて低域が消え失せている歌ってみたを聴いて育ちました。僕にはイヤホンやヘッドホンで聴く音楽がちょうどよくて、音はデカければデカいほどいいとか全く思いません。ちょうどよければちょうどよいほどいいにきまってる。

 痛感したのは去年11月の東京・下北沢GARAGEで見たライブで、音がデカすぎて頭の中でバリバリ割れてなんもきこえんかった。butohesとか、ビジュアルが死ぬほどよかったのにせっかくのアルペジオが潰れてなんも聞こえんくて雰囲気で楽しんでた。雰囲気でも楽しかったし音源は最高です。colormalは唯一全ての楽器が聴こえて、ボーカルもよく聞こえたので良かったです。

 

 

 

 さてヨルシカですが、以前の盗作のライブにてサンレコが行った音響スタッフへのインタビューを引用します。

 

 

 「ライブに慣れていない若い世代の人たちが何を求めてライブに来るのかというと、昔のライブ感ではなくて、“普段聴いている音源の音を大きな会場で同じファンたちと盛り上がって共有する”みたいなことなんじゃないかって、(中略)普段音楽を聴く環境もスピーカーとかではなくてワイアレス・イアフォンが基本だったりしますし、そういったリスナーの環境での曲の聴こえ方を意識して、そのニュアンスに近付けていくようなイメージでした」

https://www.snrec.jp/entry/report/concert_yorushika

 

 

「ライブに慣れていない若い世代の人」←おれです!!寒いよマンです!!若いです!

「普段聴く環境もワイアレス・イアフォンが基本」←おれです!!寒いよマンです!!スピーカー買ったけど定在波の影響で145Hz付近が3倍の音量で聴こえるので、今はもうyoutubeにじさんじのみなさんを観るのにしか使ってません!

 

 

 ライブハウスの音にうんざりしていた俺はこれを読んでそらもう期待したわけですよ。これは俺も楽しめるライブになるんじゃないかと。

 

 

 で、実際どうだったか。

 

 

 そんなにでした。

 おかしな期待をしていたライブ不適合者の俺が悪いのであって、ヨルシカは何も悪くない。てか盗作とは会場もメンバーも違うし、もしかしたら普通に音響のコンセプトも違うかもしれないし。

 

 

 以下詳しい感想ですが、全て俺の耳や育ちや性格が悪いだけなので、みなさんは真に受けないでください。みなさんがライブに行ったらきっと最高の体験ができるでしょう。

 

 

 まずあんまり没入できなかった。音がとにかく前から聴こえてきて、前で何やってんだろ。ライブか。会場で鳴り響く感覚や、デカい音に包まれる感覚もなく。ただ前からドラムのキックとキタニのベースが良く聞こえてきた。ライブってそんなもんか。

 

 リードギターがもっとデカい音量でほしかった。これはcolormalのせいだな。俺は悪くない。

 

 バッキングギターがほぼきこえんかった。すると何が起こるかというと、なんかとにかく曲の流れがよくわかんなかった!ヨルシカだから脳内で補完できたけど、よく知らない曲とかだったらたぶん全然わからなかったと思う。

 

 

 俺にとっての音楽の大半は結局「歌」で、メロディが聴こえてればそれでよかったはずだったし、そもそも昔はメロディしか聴こえなかった。特にコードなんか未だに聞き取れない。maj7っぽいかどうか、不安定っぽいか安定っぽいか、解決してるかしてないかくらいしか聞き取れず、colormalのコードなんかなんもわからない。難しいコードにはあまり興味がないしUフレットでaugが出てくると諦めてブラウザバックする。ごめんなさい。

 

 

 だからこの体験は正直驚きで、おれはコードを「理解できてない」けど、「聴いて」はいたのか!!と気づけた。だからなんだというのだ、どうせ理解できないくせに調子に乗りやがって…

 

 

 ただボーカルだけはとにかくよく聞こえた。suisさんは本当に歌が上手かったし、生々しい表現がみんな聴こえた。もしかしたら、メロディしか聴こえなかった時代の俺がこれを聴いたら、普通に最高の体験ができたかもしれない。おれは一般人にもなり損なってしまったのか…

 

 

 

 まあ音響面ではあまり満足ではなかったというのが正直だが、正直それ以上に、物語が、映画があまりに強くて、ちゃんと見てよかったなというかそっちの面で満足できたのですごいな。ヨルシカは…

 

 

 

 

・一般人として

 俺はナブナにもなれないし、ヨルシカにもなれないし、エイミーにもなれないということが本当に苦しかった。俺はただの一般人で、芸術なんか一切わからないし、表現の手段は音楽じゃなくて言葉とツイートだし。きっと長生きするし。

 はなから「創作」を「生活」より価値あるものとして見て、その通りに行動できる人たちを、音楽のために作れる人を尊敬していて、嫉妬していて、激しい劣等感を覚えていたし、嫌いで。俺はただ過去の自分のために、つまり過去の自分への「義務感」でやっているし、あくまで手段としてそのような形を模すのであって目的は音楽でも創作でもない。なんならおれは音楽を作っていないのかもしれない。なんもしてないのかもしれない。そういう自分はきっとはた目から見て素晴らしい作品を作ることができないし、その価値は俺の思い出の中でしか見いだされない。他人から見て、ただ未熟で、あまりよくなくて、でも自分は思い出補正でよいと思う。そんな作品は、はたから見たらしょうもない。本当は魂を削って、削れた分が音楽になればよかった。音楽に殺されてしまいたかった。でもそんな願いはきっと偽物で、俺はこの先も生活を優先するし、気が済んだら音楽なんか捨ててしまうんだろう。君みたいに本を読まなくなったように。

 

 

 

 

 

パラレルワールド

 俺にとって「創作物の世界」は、虚構ではなく、パラレルワールドである。もちろんそれは創作者が創った現実ではないものであるけど、その世界は少なくとも頭の中には存在し、頭の中では現実世界と同等である。

 

 

 それらは当然交わらないけど、出来事などがリンクすることがある。現実世界の誰かが創り出すとき、その誰かが現実で経験したことが、それによって構成される価値観・思想が様々な形で反映されるのだからそりゃそうだ。

 

 

 

 繰り返すけどここから話すことは全て俺の頭の中で起こったことであり、現実世界はみんなと共有すれど見え方は人によって違うわけであって、全部俺の妄言であるから、真に受けないでほしい。文のあたまにいちいち「俺(寒いよマン)にとって」を補完して読んでください。

 

 

 

 エルマとエイミーの世界は、現実世界において、ナブナさんとsuisさんとリンクしている。

 

 

 「まず、自分の過去や経験をもとに、音楽を辞めた青年の話を描きたいと思ったんです。」

 

 「19歳から20歳のときに、とても悩んだ時期があって。その頃に“だから僕は音楽を辞めた”という曲が部分的にできていたんですね。それを膨らませて作ったのが、この2枚の作品なんです。」

 

 「『だから僕は音楽を辞めた』は、自分自身にかなり近いと思います。僕の体験や思想がそのまま物語に入れ込んである。」

 

 

 ナブナさんの発言を漁ればいくらでもあるが、まあエイミーとナブナさんがリンクしているとみることにする。リンクするといっても、二人は完全に他人であり別人であり別世界の全く関係ない人たちであり、あくまで二人のそれぞれの世界における行動がリンクする(ことがある)という関係。

 

 

 で、エルマは。まあはたから見て男女二人組は対になってるよねってのもあるんですが。

 

 

 「でも、さっきも言ったように私はヨルシカを始めるときに、それまでの人生を生きてきた自分を殺して、新しい自分になるっていう手段をとったので。それは、人ひとり殺した感覚にも近いというか……もうひとりの自分に「じゃあね」って言って、自分で自分を殺した感覚があって。

 

 「ヨルシカのsuis」になることでそれまでの自分を失った感覚、そこにある喪失感っていうのは、人生で初めてくらいの大きななにかを失くした体験だと思います。」

 

 

 このsuisさんの発言にある「過去の自分の喪失」は、エルマも経験しているはずである。

 

「君の口調を真似した

君の生き方を模した

何も残らないほどに 僕を消し飛ばすほどに」

 

 

 この歌詞はナブナさんが書いたのであって、suisさんが書いたものではないから、suisさんとエルマはやはり完全に他人であり別人であり別世界の全く関係ない人たちであり、あくまで二人のそれぞれの世界における行動がリンクする(ことがある)という関係。

 

 

 エイミーをエルマが追う、模倣する、という行動、順序は、現実世界においてナブナさんが曲を作り、それをsuisさんが歌うという行動、順序とリンクしている。これにより二つの世界の「順序」、流れもリンクしていると認識する。

 

 

 そういう感じで俺は、ナブナさんとsuisさんがいる現実世界に対して、エルマとエイミーがいる「パラレルワールド」にちかいなにかが存在し、出来事がある程度「順序」をもってリンクする(ことがある)という認識に至る。

 

 

 

 そして昨日のライブにて。

 入場特典として配られたカードには、「青年が最後の手紙と詩を書き終えた、その後の一瞬の話」と書かれていて。

 プロローグにおける、ナブナさんによる怒涛のポエトリーリーディングは、そのライブが終わる迄、ステージによって切り取られた現実世界が、深くエルマとエイミーの世界とリンクを始めたと認識するのに十分だった。そのくらい、その瞬間のナブナさんはエイミーだったし、歌を歌い始めたsuisさんはエルマだった。そこにはナブナさんが居てsuisさんがいて、エイミーとエルマが居ると空見できた。目の前で起こる、二つの世界の深いリンクにきっちり飲み込まれた。

 

 

 

 だから、最後の曲目「だから僕は音楽を辞めた」の、2番のサビの頭で、突然歌声が止まった「瞬間」が、とてつもなく劇的に、衝撃的に頭に飛び込んできた。まだ脳裏に焼き付いている。

 

 

 それまで完璧に続いていた歌声が聞こえなくなった、それに俺が気づいて、ステージの真ん中に視線をやった本当にその「瞬間」

 

 

 

 

 

 

ナブナさんがギターをおき

 

 

 

 

しゃがみこんでいるsuisさんのもとへいき

 

 

 

 

かのじょのうでをもって、かたにまわして、

 

 

 

 

ステージそでまで、つれて、はしってきえた

 

 

 

 

 

 

 ここまでが「瞬間」だった。実際に一瞬の出来事だったし、思考の入り込む余地が無かった。あまりに劇的だった。あまりに劇的だった。あまりに劇的だった。

 

 

 二人が消えたあと、演奏が止まり、暗転、演奏を止めたほかのメンバーは数秒立ち尽くして、それから二人が消えて行った方に同じくみんな走っていった。

 

 

 そこから、現状を確認しているという会場アナウンスと二つ隣に座ってる人がすすり泣く声以外何も聞こえず待つ時間があったが、本当に生きた心地がしなかった。俺が、ではない。

 

 

 ステージ上にて、現実世界ともう一つの世界が、深くリンクしている。

 

 この物語は、エイミーが全ての詩と手紙を描き切ったその瞬間であり、

 これからエイミーがどうなってしまうのかは明白であり、

 仮に、もしその出来事がリンクしてしまうとしたら、現実世界では。

 今何が起きた?suisさんが倒れて、

 

 二人がそれぞれの人物とリンクしているのではなく、世界が、出来事が、順序がリンクしているとしたら、

 

 

 

 

 

 

 そんな心中だったが、アナウンスはすぐに「再開の準備をしています」というものに変わり、ステージの照明は再び点き、中断から20分後にライブは無事再開する。suisさんが「ご心配をおかけしました。最後まで歌わせてください」といってから、最後の曲の前のリーディングからやり直して、ライブは終了した。

 

 

 

 

 

 

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 二晩ほど寝ておもいだすけど、まさかsuisさんが重病で…なんてことはどう考えてもない。suisさん、コロナにかかっても普通にすぐ元気に復活してるし。元気そうな人だし。相方の死が近いから物語ではエイミーを殺しておこうとかサイコパスにもほどがあるしそんなことをナブナさんがするわけが無いし。

 それでも、あの中断の20分間、俺の心中がどうであったのか先述の通りで、こんなに世界に飲み込まれることもあるんだな、物語ってすげえや。と思った。

 

 

 

いや、すごいのは俺の妄想力かもしれない…

 

 

 

https://www.cinra.net/article/interview-201908-yorushika_nktkk