エピローグ

世界の真ん中を歩く

なまえのはなし

 フォロワーのインスタライブにいったら、「襟足」と呼ばれたことが印象に残っている。ところで、リアクションペーパー系の課題での「興味深い」「印象に残っている」ほど使いやすい言葉はない。

 

 「襟足」とは俺がたった1年、いやもっと短い一瞬の期間で使っていたハンドルネームである。「生産者になりたい」という思いから、まずは形から入るということでTwitterアカウントを作ったのがこの名前の始まりである。より正確には、「生産者になりたい」と思うに至ったきっかけである様々な出来事の連なりはあるが、それこそ「連なり」であるため、「始まり」を正確に定義できるわけが無いのだが。

 襟足は、結局当時の心情からエハラミオリ(の旧名義)、yukigunidogさん、その他某界隈のファンアカウントのようなものになり、そこから人生で初めてインターネットの友達ができ、音楽は上手くできず、持て余した性欲で下ネタをつぶやき、申し訳程度のブログを書き、そして終わった。音楽ができなかった。高校を卒業する。対vtuber鬱病の悪化。これらは襟足を始めたころの心情が死んだことを意味し、すなわち襟足の死だ。

 「空飛ぶ八月」はちょうどそのころ思いついた言葉だが、この言葉にすべてを託して、襟足をやめた。その1年間を襟足と名前を付けることで、自分から切り離した。

 

 名前を付けること。高校の頃に教科書で読んだ記憶があるが、それは「風景から事物を切り取ること」らしい。そうだった気がする。「自然」の中で「山」と名付けることで、それは空や田んぼからは区別される。「記憶」という地続きの風景の中で、俺は名前を付けては切り取っていった。それは俺自身が俺の人生を意味づけるという役目であるが、もう一つある。

 俺は他人に名前を読んでもらう機会が当然あるわけだが、何かしら「呼び方」があるわけだ。襟足、寒いよマン、ぱしこ、パシ子、そして「かずさん」と呼ばれることがあった。

 

 俺は人に上記の名前を呼ばれるとき、「そのひとには『その名前』で呼ばれているから、その人から俺は『その名前』である居場所を与えてもらっている」と感じる。どういうことかというと、例えばあなたが俺のことを「寒いよマン」と呼ぶとき、俺は「あなたの中にある『寒いよマン』という記憶に、俺は居座ることができた」と感じる。これ説明になってるか?

 そして、先に述べたように、俺自身の認識として、それらの名前は俺の記憶上で俺という人間を切り取っている。「襟足」は去年のある期間を切り取っているし、「パシ子」は高校2年生から卒業まで、「かずさん」は、中学卒業まで。

 すなわちまとめると、俺の名前には、①俺自身を切り取る役割 そして②人に認識してもらい、その人の記憶に居座る この二つの役割が2重に存在する。

 

 そんな中で、俺はある人に関して「その人が俺を呼ぶにふさわしくない名前」で呼ばれることに、違和感を感じてしまう。例えばこれは高校生の時の話、なんだかんだあり友達に「むかしかずさんと呼ばれていた」と話す機会があった。その後その友達が俺のことを「かずさん」と呼んだが、あまりの違和感・強烈な拒否反応があり、お願いして辞めてもらってしまったことがある。これはすなわち、その友達の記憶に居座る俺は「高校生の俺」であり、少なくとも中学時代の俺がいるはずがない。そんななかで「かずさん」という、中学時代の俺が切り取られた名前を呼ばれることで、ある種の「ズレ」が発生したということだ。何ともめんどくさい話である。

 ちなみに、「かずさん」が中学時代の俺を切り取っているが、①の意味として、俺がわざわざ「かずさん」と自称するとすれば、それは完全に中学時代を指すが、②の意味として、その人にとって俺が「かずさん」であるなら、今でもその名前で呼んでほしいと思う。ここが明確だが一方ではっきり言語化できないところで、俺ですらよくわかっていないところだ。そのうち上手く言語化できることを祈る。すくなくとも先に挙げた例において、その友達にとって俺は「かずさん」ではないはずだということだ。

 

 最初の話に戻ろう。そのフォロワー、というかその友達は俺のことを「襟足」と呼んだ。そして、それがなぜかうれしかった。

 ①の意味として現在の俺は襟足ではない。そして決意をもって俺は襟足を「辞めて」いるため、他の名前と比較して、「俺は襟足ではない」という意識は強い。②の意味として、俺はその友達の脳内には既に襟足より長い期間で「寒いよマン」として居座ったはずだ。

 なのになぜ俺は襟足と呼ばれ、それに喜びを感じたか。

 まず②の意味として、俺はその人にとって「襟足」だったのだろう。人間の第一印象は大事だが、それと似た話だと思う。なにより①の意味として「記憶を切り取り、自身を区別する」ことで納得できるのは自分自身だけであり、俺がいくら襟足を切り取ろうと、その友達にとって、俺が襟足と地続きの一人の人間であることは間違いない。

 そして、俺はその「今の俺が襟足と地続きである」ことがうれしかった。強く切り離し、1年がたち、インターネットからはそのころ生きていた証は消え去り、思い出も記憶も、薄れていってしまう中、もしかしたらその友達は、今の俺よりもはっきりと「襟足」を覚えているのではないか。もちろん当時の記憶がそのまま、という意味ではない。なんせその人にとって「今の俺が地続きに襟足」なら、襟足は生きているのである。そう思えてしまったら、なんだか遠くに行ってしまい、もう生きているうちに会えない友の生存を喜ぶような気分になってしまった。

 

 

 課題をやりたくなかったから、近況報告のつもりでいくつか話を書くつもりが、ひとつだけになってしまったし、人に読まれる気のないような文章になってしまった。

 蛇足のように付け加えるが、ここ1か月ほど割と体調が良かったが、なんやかんや課題ができなかったり、そのことからの生活の不規則さ、失敗体験などが重なりまた崩れてきた。どん底にまた行く前に、こうして文章でも書いて気分を改め、心機一転、昨日の17時締切だった書評の課題をしようと思う。そんでもって次のブログは、何とかもっと元気な話をしてみたいと思う。

 

 最後に一つ、課題などのせいで全く進められていないが、『空飛ぶ八月』の第一話を飾れる曲を本格的に作り始めている。まだ作詞がワンコーラスできただけだが、必ず形にする。ちなみに困ったことにこのワンコーラスの歌詞は、先週の日曜日の朝の出来事でとっさにノリで作ったものであるから、まだまだ手を施さなければいけないありさまなのだ。目標は11月9日までに作り上げることだが、理想と課題の壁がどんどん高くなっていくにつれちょっと目標が困難になってきた。それでもあまり遠くないうち、11月中には完成させたい。『空飛ぶ八月』という俺の俺による俺のための「プロジェクト」は、想定の半分以下の速度であるが、確実に計画通り進行している。こうやっていっちょ前に報告しないとちゃんと完遂できない気がする。来年の八月へ向かい、頑張る。

 

がんばるぞ~

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