エピローグ

世界の真ん中を歩く

振り返り2022 4~6月

4月

 

どうしようもなく自分の世界の中に閉じこもり、外の世界ことがほとんど見えていなかった時代を終えてしばらくした頃、具体的に言うと2019年くらいから、社会の中で生きる正常な人間として、自分と他人を比較することを知った。

他人との比較によって相対的に明らかになっていく自分自身の醜さと、それに向き合いきれない絶対的軟弱さによって、平たく言って自信を失い続ける3年間だった。

 

具体的にいうならば、ずっと好きだった(はずだった)「音楽」に対して、「こんなの好きでも何でもない」と思うようになってしまった。

 

音楽を「つくる」ことに関しては、「アーティスト」の皆さんとの比較によって、自分は作ること自体への関心がそもそも弱いことを知る。私はいつだって"音楽を作ることによって達成したい音楽外の目的"ありきだった。

音楽を「聴く」ことに関して、自分が「メロディ」しか聴いてこなかったことに気付いた。ベースもドラムもコード進行も聴いているようで「聴こえない」。そもそもメロディ以外にそこまで関心をもてないと結論する。だからこそ、そういったものにちゃんと関心を持てている周りの人たちを見ると劣等感を抱いた。

また、自分の好きな音楽のことを周り人が全然好きじゃなかったり、むしろ嫌いだったりしたことも、自信を失う一因となった。自分の信じている音楽は、実は全く素晴らしいものではなく、私は非常に悪趣味でナンセンスなんじゃないか、そう思った。

 

 

などなど。

 

とにかく俺は俺の「音楽が好き」という気持ちを、他人と比べて劣ったものだと思い、信じることができなくなってしまっていたのです。まだ鬱を引きづっていたこともあると思います。

 

加えて、ちょうど作曲が上手くいかず大きな失敗をしていた4月の末、TOKIO TOKYOで行われたcolormalワンマンに行きました。

 

 

いい写真だなあ。

図々しくも最前のど真ん中で頭をぶん回してしまい、首筋を痛めました。本当に最高の夜でした。

 

そして自宅に帰りすぐ迎えた翌月、colormalのみなさんを全員ブロ解することになります。何故……

 

 

 

5月

スリードすることもないとは思いますが、ライブで何かあったわけでもcolormalの皆さんに何かあったわけでもなく、僕が勝手に落ち込み、僕が勝手に全員ブロ解しました。その節は本当に申し訳ございませんでした……

 

原因はそう!

 

 

エナガさんがあまりに凝ったコード進行を使ったからです!!!!

 

 

というのは冗談で、もちろん100%原因は自分にあります。でも、コード進行が一つの理由ではあります。

 

colormalの楽曲が完璧で非の打ちどころが無くあまりに素晴らしいことは周知の事実かとおもいます。そんなバンドの特別な公演を見て、改めて実感しました。メロディ、サウンド、コード、どれをとっても本当に良いし、本心から好きだと思うのです。

そこに、問題がありました。colormalの楽曲が「良い」の基準となり、それに満たない自分の音楽的感覚を否定せざるを得なくなったのです。

つまり、自分が「凝ったコードワークに関心をもてない」「簡単なコード進行のループで十分」と思っていること、それを「劣った性質である」と捉えるしかありませんでした。

直近で作曲に失敗していたこともあり、自信を失うには十分すぎる状況でした。単純に、とにかく作曲をしたくない。それでも空飛ぶ八月は作らなければいけない。かつてあれほど作りたいと冀ったものが、尊さの欠片もない「義務」に成り下がってしまった。

 

すっかり忘れてたエピソードをつけ足しておきます。colormal初のワンマンライブという特別な公演を、たしかイエナガさんが「逃げて逃げた先」というような言い方をしていたと記憶しています。そんな彼についてきたバンドメンバーとリスナーに囲まれた私は「ライブハウスにおれの居場所はない」と思いました。同じ輪の中に入れない、そんな人たちがいる中心から二つ目の輪のさらに外にいるべき自分が烏滸がましくもライブハウスの中に居ることが、あとから許せなくなったのです。

 

また優しい幽霊の歌詞をいくらか喰らってしまったのもあり、気が付くと僕はメンバーの皆さんをブロ解し、colormalから大きく距離を取るということをしました。本当にすみませんでした……

 

そして、その時失っていたのは作曲に関する自信だけではありませんでした。音楽を聴く人としての「センス」に関しても同様で、冒頭で述べたように、当時の僕はフォロワーの方々に対して劣等感を抱いていました。一時期、今月聴いた曲プレリはもう作らないとか作れないとか言っていたのはこれです。自分はフォロワーの皆さんより音楽が好きではないし、自分の音楽の好みは「ナンセンス」であるので、そんな劣等をわざわざひけらかしてしまうような恥ずかしい行動はできない、という意味でした。

 

結果、ツイートを全消ししてしばらくTwitterから距離を置くなどのメンヘラムーブをかますに至りました。

 

逃げるように、この月から大学の活動に積極的に参加していくことになります。

 

 

visitmatsumoto.com

 

ゼミの成果物の展示を行いました。僕は作品の製作自体には関わらなかったのですが、去年の夏まで行っていた「1枚800円を超えるぼったくりとんかつを高齢者に売りつけるアルバイト」での接客の経験を活かし、来客対応をしまくりました。楽しかった。

 

 

コロナによる制限もかなり緩和され、こういったイベントをすること自体も勿論、「打ち上げ」と称して一堂に集まり食事をするのも初めてでした。ここでようやく、同じ専攻分野の同期の名前を覚えることができ、仲良くなれた。

 

 

何度か話題に出している市民団体「まつもとフィルムコモンズ」もここで発足。制作を取りまとめる三好監督がゼミの授業に招聘されたところから繋がりました。

本格的な活動は6月以降。

 

 

 

6月

www.youtube.com

これは他地域で制作された同様の地域映画。こういうことをやっています。

 

映像制作自体は監督が行うが、大学生はフィルムのクリーニングと整理、提供者の方々とのコミュニケーションやインタビューなどその他の作業を行っています。

 

そうです、つまり下っ端です。

 

この活動は非営利なので完全にボランティア。無賃労働。やりがい搾取。鬼!悪魔!資本主義!まあ望んで参加しているのでOKです。

 

 

 

聴いていた音楽

ああいうことがあったので、もう今年は変に新しい曲を聴こうとせず、とにかくすでに出会っている好きな音楽だけ聴こう、という態度を取りました。

open.spotify.com

そうするとナブナなわけですが、いまさらこの曲めちゃくちゃ良いと思うようになり、かなり聴きました。耳が悪いなりに頑張っていろいろ聞こうとした結果、今まで何度も聴いていた曲の中で新たに好きなフレーズが出来たりする。2:11~のアルペジオ、すごいですよね。今年一番弾いたフレーズ第一位だと思います。

 

 

すでに出会っている楽曲好きな音楽のことを考えていたらふと思い至って、小中学生の頃使っていた3DSのSDカードから音楽データを発掘した。

これは俺が中学2か3年生の時、人生で初めて自分の意志でレンタルした思い出のCDです。アルバム1枚350円くらい、合わせて700円くらいでレンタルし、ウキウキで父親に3DSに入れてくれとお願いしたところ、「なんでレンタル100円セールの時に借りないんだ、大損じゃないか、だいたい俺に相談せず何勝手にTカードなんか作っているんだ、判断能力が無いお前には必要ないから預かるからな」とめちゃくちゃ怒られ、Tカードは中学卒業するまで取り上げられました。CDは取り込んでもらえました。

 

本当に久しぶりに聴いてみると、「この曲はこんな音が鳴っていたのか!!」という発見の連続でとても楽しい。他にも「俺は本当はこういう音楽が好きだったんだ」とか、「本当はこういう音楽が作りたかったんじゃないか」とか思う。ここから、昔聴いていた曲を聴きなおす動きが加速する。

 

 

 

以上。

振り返り2022 1~3月

こんにちは。寒いよマンです。イエナガさんが一年を振り返るブログを書いていたので、丸パクりします。

 

といっても、今年の1月のことなんてほとんど記憶にないものですから、適当にツイートなどを振り返りつつすすめていこうと思います。ツイ廃でよかった。

 

とおもったらツイ消ししとるやん、お前さあ……ほんま呆れますね。ちょっと困りましたが、今年の最初の頃まで使っていたサブ垢が残っていた。久しぶりに覗いてみると、とっても元気(笑)な寒いよマンがそこにはいました。ツイ廃でよかった。

 

 

 

いや~こんなこともありましたね。その節はご迷惑をおかけしてしまいほんますみません……じゃねえよ、なんで俺が謝んなきゃいけねえんだよ意味わかんねえよ、マジでお前ら全員ぶっ殺してやるからな。そんな感じでスタートです。よろしくお付き合いください。

 

 

 

1月

 

何もしてませんでした。いかがでしたか?ふざけんなよ……なんでこんな……

 

 

一応実家には帰ってたみたいです。てか、こんときまだ髪が長かったんすね。ほんとに今年なんか、これ。

 

以上。

 

 

 

2月

 

曲を出しました。

 

嘘だろ……………………これ本当に今年なのか?じゃあ今年の手柄にしていいってことか。やったあ。今年は曲をつくりました、ガハハ。

 

実際のところ寒いよマンの「今年」は昔から4月~3月という「年度」の感覚なので、やっぱり今年じゃないんですよね。今年は曲をつくらない年でした。そういうつもりでやってきました。

 

あとがきに関していろいろ話します。まず、これはそもそも投稿日からさらに1年遡った2021年2月頃にデモを作ったものでした。じゃあ去年ですらなく一昨年の曲ということになりますね。ハア……

 

「あとがき」というタイトルは動画の写真のとおり小説のあとがきから取ったもので、小説としてイメージしてたのは俺ガイルです(写真に写っている小説は俺ガイルの11巻でした)(俺ガイルのことをかいた曲という意味ではありません)。空飛ぶ八月が書こうとしていた風景が「その時代」であったこと、そもそも一番はじめの動機まで遡れは、それは音楽ではなく小説になるべきだったことなどから、ふさわしい命名だったと思っています。

タイトルは曲制作の最終盤に決定し、それまでは「エンディング」という仮タイトルでした。「あとがき」と「エンディング」、少々ずれているようで、これで正しいです。

どちらにせよ「空飛ぶ八月」の結論を記し、終末を表し、それからを飾る曲ですので、作りきった当時は「もうこれで十分だな」と思えてしまいました。本編はなにも作れていないのにね。ハア……

 

そんな感じなので、これ以降空飛ぶ八月の制作は一切合切進捗を挙げていません。そんな態度で大丈夫か?大丈夫だ、問題ない。だってもう何もかも期限切れだから……

 

youtu.be

 

そういえば、1月は実家で曲制作を進めていたことを思い出しました。懐かしいなあ……

 

 

 

 

3月

髪を切り、2年間の長髪の呪いから解脱。

 

open.spotify.com

大学の先輩がフロントマンを務めるバンドのライブを見に行く。

 

 

 

ヨルシカのライブに行く。

申し込みに同行者が必要と分かった時はかなり焦った。行動のデフォルトは一人だと思っているから、システム的に一人行動が不可能という状態にかなり違和感を覚えた。未だに疑問に思ってるんですけど、結局同行者っていなくてよかったんですかね?私の勘違い?

同行者はなんとか見つかったが、コロナの関係で行けなくなり、同行者分のチケットはトレード。結局一人で参戦した。

 

ライブの感想は記事を書いています。

samuyyyyy.hatenablog.com

 

 

 

聴いていた音楽

open.spotify.com

2020年からの活動休止を経ての復帰作。休止中はなんか「でっかいプロジェクト始動!メンバーを一般公募!」とか謎に壮大なことを言っていたり(結局アレが何だったのかは未だに分からない)、ベースとドラムが脱退するとかいうバンドにあるまじき事態になったりと不安要素が多すぎてなるべく期待しないようにしていたが、復帰作があまりに大森元貴で拍子抜けした。Mrs. GREEN APPLE、ありがとう。

 

 

 

次回は4月~6月。つまり感覚的にようやく今年のことです。よろしくお願いします。

かつての僕らの瞳には光が在った。

それはもう、少女向け雑誌の表紙にいるキャラクターのように。その光り方は誰一人として同じではなくて、未熟な僕たちは、みんなそれぞれの輝きをもっていた。その瞳の光のせいで白飛びしたり、黒く潰れて見えなかった景色があった。見える景色だけを見ることで見えた、歪んだ世界があった。君の見ている世界は、僕の見ている世界と全然違ったし、なんで違うのかわからなかった。僕らはその歪んだ世界で、たくさん間違えた。気づいた時には大切なものを取りこぼしていた。僕らは、大人になりたかった。

 

大人になるということ、それは瞳の光を徐々に失うこと。

見えないものを見ようとして、そしたら見たくないものも見えてきて。少しずつ透き通っていく僕らの眼球は、やがて景色のすべてを見ることができるようになる。歪んだ世界は秩序ある世界に。友達と喧嘩することも少なくなった。自分のせいで自分を責め、自分ひとりで反省することも増えた。空が、昔よりもきれいに見えるようになった。

 

綺麗に澄んだ、なんにもない僕らの眼。

世界が間違っていたころ

世界が間違っていたころ、わたしは1000円が払えなかった。否、100円だって払えなかった。

 

学校が終わって、勉強をしたくないから、となりのスーパーで、うまい棒を1本だけ買い、無料のお茶をカップに注ぎ、休憩コーナーにひとり座った。世界が間違っていたから、それは贅沢だった。長続きはしなかった。

 

手に入れられなかったCDがひとつ、ふたつくらいあっただろう。わたしのことなど視界の隅にも入っていないような大人をみて、わたしは気が狂った。

 

わたしの舌は味覚がいくらか欠落している。わたしのお腹は満たされることを拒む。それは世界が間違っていたころ、わたしは外食をしなかったから。「それは不可能である」と何度断っても「ごはんにいこう」と誘ってくる友人が酷く、酷く不快だった。

 

 

 

つまり、僕が間違っていた。

 

僕が間違っていたから、僕は母親に金銭をねだるという選択肢をとらなかった。母親が不快そうにするのをみたくないと、僕は思うだろうと、僕は思ったから、僕は「自ら」間違った。

 

財布の中にある千円札を、彼のために使わないと僕が決めた。僕が間違っていたから、そこには狂っている僕がいた。「世界は間違っている」。僕が間違っていたのだから当然だ。

 

 

今、それは随分と正しくなった。

 

僕は自らの時間をお金に交換することができた。それは正しい。

僕は自らのお金を体験に交換することができた。それは正しい。

 

それが正しいのはきっと束の間で、それはまた少し間違うかもしれない。

 

しかし、かつてのように間違うことはない。

だから、かつてのように間違うことができない。

 

いつものように、わすれていく些細なできごと。

 

 

近況 0822-0828

0822

大学のmacのディスプレイに自分のパソコンを勝手に繋いで作業をしている。Apple LED Cinema Displayという10年以上前の製品だが、フルHDではあるが非常に視野角が広く綺麗な画面で、Appleの技術力を思い知る。まあandroidに乗り換えたんだけども。

 

0823

未だに教室の夢を見る。もちろん大学の教室ではない。夢だからぐちゃぐちゃの世界だけど、それでもそこには確かに教室があり、廊下があり、玄関があり、誰かとの再会があり、あの頃の日常があった。ような気がする。

 

youtubeとインスタのshort動画で時間を大きく無駄にしてしまうことが増えていて情けない。

 

0824

友人と家で酒を飲みながら音楽を聴いたりyoutubeを観たりした。飲酒で一番気持ちいいのは外でそこそこ飲んでから店の外に出てふらふらしながら歩いているときだと気づいた。

 

0825

昭和15年頃撮影されたフィルムの映像を観た。今住んでいる住宅街がまっさらの更地で衝撃を受けた。

 

0826

映画のおてつだいめんどくさいしゾーマはやく倒したかったから、前日から早く帰れるように手配した そしたら俺以外の大学生メンバーが早く帰っておれだけめっちゃ残業してた やりがい搾取、どころかそもそもボランティアなのでおちんぎんが発生してない

 

疲れたので今月マジで金ないのにミスド買って酒買って帰り、デカい音量でyoutubeを流した。金がないのに無駄な散財で気持ちよくなるのもデカめの音量がストレスに効いていると感じるのも気に食わない

 

0827

ゾーマ倒した。

 

0828

 österreichのライブを観にいった。ボーカル、ギター、ピアノの3人だけの小編成で、場所もライブハウスではなくお食事処「やまゆり」で。最寄りの信濃境駅の名に違わない、県境の最果ての町って感じの田舎だった。

遺体、楽園の君聴けた。cinema staffのカバーも2曲。かなり贅沢なライブだった。