エピローグ

世界の真ん中を歩く

Henceforth

 俺がブログを書くとき、特にこのブログを立ち上げてからは顕著で、必ず以前の記事と明確に気持ちの変化がある。「自分の人生の小説化をやめること」、そしてその行為によって「自意識と距離を置くことに成功してしまうこと」。

 今の気持ちとしては、自意識とはまた仲良くやらせてもらえているかな?といった感じ。

 

 ツイキャスをした。単純にブログを書くのがめんどくさくて(決して書きたくなかったわけじゃなく、むしろ本当に書きたかった)、近況報告は喋った方が早いと思ったからだ。しかし、相変わらず根本的に「喋る」(すなわち、喋りながら考える、考えながら喋るということ)のが苦手みたいで、全くまとまらない話をしてしまった自覚がある。あんな話を1時間も聞かせてしまってマジでごめん。というわけで、やっぱりブログを書くことにした。謝罪及び課題の休憩として。

 

以下本題。

 

 

 

 

 

①寒いよマンの近況報告

 まず最初に。寒いよマンの・・・と語るといかにも他人事のようで違和感がある。つまり、違和感を抱く程度には寒いよマンは今も自分自身なのである。そして、これからも、寒いよマンは俺の名前だし、「やめる」という概念はそもそも無い。切り落とされた余計な髪の毛のようにするつもりはない。寒いよマンは俺が死ぬまで俺の名前である。

 

 先週までの3週間、ずっと課題しかやってなかった。いや、実際には休憩といってYouTubeを2時間くらい見たり、ギターでナブナのラプンツェルを弾いたりした。が、それは「やっている」ではないのである。所詮「やるべきこと」からの逃避に過ぎず、俺がやりたいことではない。俺がやりたいのは、作曲の勉強をすること、地元の友達と一緒にそれについて会話すると約束したゲームをすること、本を読むこと、音楽を聴くこと、楽器屋に行くこと、カラオケに行くこと。これら「やりたいこと」をやっていないと、「やっている」感覚にはならない。

 「やりたい」と考えて3週間、俺はやりたいことを何一つしなかった。俺は社会に「やるべきことをやってから、やりたいことをやりなさい」という常識を教わったが、やるべきことが、どれだけやっても減らんかった。ずっっっっとやっても減らんかった。それは自分の集中力が無かったり、ストレスでYouTubeを超見たりするせいだと思うとますますつらくなった。

 「作曲できるようになる」にいっこうに近づけない。余計な髪の毛がかつて夢みたものを、いっこうに叶えてやれない。切り落とされたことは無駄になってしまう。

 そんな気持ちで鬱々と3週間も過ごした暁にはついになんと俺の襟足が!!!!!!!襟足が!!!!!!!!!!!!!!!襟足がああああああああああああああああああああああああうわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伸びた!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビヨ~ンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

なわけ。

すなわち(すなわち?)、1年前に経験したパニック状態に陥ってしまった。

といっても別に何か物を壊したりしたわけではなく・・・人の心を壊した。みんな本当にごめん。

 

 そのときの感情をもはや思い出せないが、とりあえず一晩で落ち着いた。

 そして俺は導き出した・・・・・・大きな間違いはお前だ・・・・・・

 

社会!!!!お前が間違ってる!!!!!!

 

俺は悪くない。社会が悪い。やっぱり俺ガイルに嘘は書いてないんだな。

 

 何が間違いか?それはもちろん「やるべきことをやってから、やりたいことをやる」である。これはそもそも「やるべきことを普通にやれる社会適合者」であることが前提だ。ただそれは当然で、ようは社会は社会適合者によって構成されるわけで、社会構成に参加することに何らかの形で「不適合」があり、参加できないのが「社会不適合者」なのである。「社会適合者が社会に向かって放つ言葉」はすなわち「社会適合者に向かって放つ言葉」なのであり、社会不適合者の俺が真に受けていいはずがなかった。やっぱ間違えたのは俺だった。

 俺は「やるべきことを普通に完遂できない」という点で社会不適合者だ。そこで、これから俺はこうすることにした。

 

 「やりたいことをやるのに、すべてやるべきことを終わらせる必要はない」

 「休憩として『やりたいこと』をしっかりやっちゃおうね!」

 

 ・・・やばい。あまりに完璧すぎるやり方なんだが・・・逆にこれなんで今まで気づかなかったの?それは俺が学校という理不尽な社会の中に突っ込まれていたからです。やっぱり社会が悪い。

 

 はい!そういったわけでございまして、『俺』・フロンティアへようこそ!今日のこのブログも課題の休憩として書いている。2時間は書いてるけど。超捗る。書き終わったら課題に戻ろうと思います。ちゃんと作曲の勉強もしていこうね。

 

 

 やり方の根本的な欠陥についての指摘は見つけ次第デコピンして黙らせます。

 

 

 

 

②襟足について

 まだあるよ。バカ長いね!①って時点で予想はできたでしょ?もうちょっとだけだから付き合えよ。こちとら2時間は書いてるけど読むのはどうせ3分くらいだろ?

 

 最近、「襟足」に対する気持ちが少しフラットになってきた。まあもし半年以上も過去の自分が全く客観視できなかったら、それだけ変化できてないということなので問題がある。そういったことで、この「フラットな気持ち」が訪れたことは必然であり、いままでも何回も、俺が望んでなくとも、同じ経験をしてきた。

 

 伝えたいのは、俺は襟足を名乗ってた人間だったね~ってこと。別に否定するつもりはないし、みんなもそう思っててほしい。おわり。

 

 

 

 ついでの話に入るが、「襟足」に対する気持ちが少しフラットになってきたとはすなわち、俺が襟足とともに切り落としてきた「バーチャルYouTuber」の存在とも、ある程度フラットにかかわれる時が来たのかもしれない…

 

 と思ったが、実際は別にそんなこともなく。相変わらず俺は「対VTuber鬱病」を患っており、なんかいかにもVTuberらしい話題をひとたび耳にすれば心拍数上昇にはじまり動悸と胸部圧迫感、腹部不快感に加え嫌な汗が出てくることもままある。なんかあの界隈が荒れてるのを見かけると「ま~~~~~だそんなことやってんのかよバ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~カwwwwwwwwwwww」という気持ちにもなる。だいたい俺があの界隈を見限った二つの理由のうち一つは「人間がアイドルになるということ、そもそもマジで無理だから」という思想に基づくもので、結局あの界隈とそのファンがそうである限り俺が戻るわけがない。

 ただ、あの界隈を離れたもう一つの理由について、俺の状況は改まってしまったといえる。すなわち、あの悪魔「エハラミオリ」に対する絶大なる忌避は、フラットになっていた。エハラミオリって誰?社畜鬱病のトラックメイカーらしいです。襟足はそいつの「人格」に中毒になっていたようだが、そこら辺の話について詳しくは聖書『襟足ー創世記 Ⅰ』あたりで語られている。そんなものはない。

 いまも、彼がTwitterを消した代わりに引きこもっているファンボックス(月額最低1500円から 高すぎなんだよチンカスが人の金をなんだとおもってんだカス)に加入することを検討している。借金まみれなのに。

 俺はエハラミオリから逃げられないのかもしれない。マジで最悪である。

 

 

 

 

 

 

 ところでブログに書こうと思っている話題がまだあるが、それもいつになるかわからない。アタシ忙しいんで。これからのことについて、あんまり不確定なことを豪語するとイズ…リ…ケくんになっちゃうので♪あんま言わないどくわ♪

 

 あと寒いよマンのTwitterはパニックになった勢いでまた預けちゃいました。まあなんとなくそのまま預けておこうと思います。冒頭でも書いたが、当然「やめる」みたいな概念は存在しないんで。ちょっと「削除神話」みたいなものに、逆張っていこうと思っています。ツイキャスとブログはがんばります!以上。

 

 

 

おしまい