エピローグ

世界の真ん中を歩く

文章を書く

 特に何か書きたいとか、書けるとかそういうのはなく、ただなんとなく文章を捻り出したいと思った。元々そんな感じだったと思う。書ければ、文章に成れば、なんでもよかった。それだけでもあの頃の私は救われたし、そんな文章に今の私も救われている。


 高校生の頃、「思うところがあるなら、ツイートやお気持ち文章ではなく音楽にすればいい。簡単だから。」といった発言をSNSで見かけて、それはもう酷い気分になった。それはお前の努力の成果なのに「簡単だから(=こんなこともできないなんて…)」と言っていること、ツイートより創作物が”偉い”と言っていることには、明らかに創作者の驕りと他人を見下す悪意が含まれていた。
 思ったことを「簡単に」音楽やらなんやらにできたら、文章が音楽になっただけの違いで「赦される」のなら、どれだけ楽なことか。
 当時の私はそういった「敵たち」に対して反抗心を抱く一方、結局は劣等感を感じてしまっていた。心のどこかでは、「敵たち」が自分より偉いと思っていたし、何より、そもそも私はそんな「敵たち」に憧れていた、そんな時期だったのだ。
 劣等感と反抗心でぐちゃぐちゃ、それでも何もしないより何かしなければ、そう思って私は文章を書いていた。今みたいにPCもキーボードもなくて、iPhone7の小さ過ぎる画面に、親指を必死に打ち付けた。あの小さな端末が、唯一の命綱だった。書ければ、文章に成れば、なんでもよかった。それだけでもあの頃の私は救われた。

 


 驚くことに、そんなことを始めてから5年も経っているらしい。私自身が忘れてしまった数々の「思うところ」は、私の代わりに、文章たちが覚えている。劣等感の残滓は錆のごとく胸の奥にこびり着いていて、この文章が音楽であったならと思う時もある。でも、ここ数年生きてきて確信するのは、何もしないより、崇高な形にならなくて捨ててしまうより、稚拙でもいいから、文章として形に残しておくだけで十分だったということ。
 あの頃は、それこそ「エピローグ」が始まってから3年程度の時間しか経っていなかった。「あの時代」をこれ以上忘れないためのことに想いを費やしても、たかが3年程度の記憶は脳の片隅に立てかけておけばよかった。しかし、それがさらに5年も積み重なってしまった今、8年間の「エピローグ」と「あの時代」の両方を鮮明に記憶していくのが不可能であると知った。それでも今の私が「あの時代」と地続きである「エピローグ」を歩いていると確信できるのは、その歩みの道中で後ろ袖から零れ落ちた文章たちが、道標としてここに残っているからだ。それらに私は間違いなく救われている。


 これからも歩み続けるこの道がどこから続いてきたのかを忘れないため、このブログを更新することは辞めない。できれば、3、4年前みたいにまた雑記を時々書き残したい。書ければ、文章になれば、なんでもいいなと思う。それだけで、なんか救われた気になる。